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体験談⑤

約3年前の出来事である。
当時仕事がなかなか決まらず経済状況が厳しく、
生きていくのもやっとだった私は派遣会社から紹介された
大手コールセンターに勤めることになった。23歳の時だった。

ただ、私は派遣先の会社との面談の日、衝撃の事実を聞かされることになる。

「今日、管理者候補として紹介しようと思ってるんだけどいい?」

話が違う。私は驚いてしまった。
だけど、時給は高いしここで断ってしまったら次の仕事が決まるまでどうなるかわからない。
仕事の決まらない私には「はい」と答える以外選択肢はなかった。

面談はスムーズに進み、無事仕事を始めることが出来た。
派遣先の人は優しく、毎日が楽しいと思える職場だった。

そして、派遣されて半年後。

派遣先へ直接雇用されることが決まった。
本格的に、業務への管理者になることが決まった。

初めてのカスタマーセンターSV。
23歳という若さには、SVという響きは何だか誇らしくて、
その肩書きのある名刺を持ってるだけでも嬉しかった。

ただ、理想と現実はあまりにも違い、うまくいかなかった。
営業からの無茶な仕事がふりかかり、メインで見ている業務以外にも
どんどん仕事を押し付けられていく。
クライアントの無茶な要求に若い私が反抗出来るわけもなく、
最終的にはコールセンターにもかかわらず、なぜかカタログの発送業務まで請け負っていた。
9時から17時半がメイン業務の営業時間のはずなのに、いつも退勤を押すのは22時ごろ。

深刻な人手不足のせいで属人化してしまった仕事は自分がいなくなると回らない。
どんなに辛くても出勤するしかなかった。
用事があるときは、上司に必死に頼み込んで定時で上がらせてもらっても、
夜遅くまで調べればわかるような仕事についての質問の電話が来た。

そして、身体に限界が来た。

眠れなくなった。
通勤電車で吐き気と震え、動悸が止まらなくなった。
なんとか会社にたどり着いても、デスクに座っているだけで吐き気とめまいが
おさまらなかった。

典型的な、適応障害だった。

そして、糸が切れた私は上司に家族が危篤だと嘘をつき、一日休んだ。
その休みの連絡を入れるのにも恐怖が収まらなくて怖くて泣いて震えて通話ボタンを押した。

休みの日に、スマホの電源は落とした。
泥のように眠った。やっと、安心して眠れた。
そして、新しい会社を探した。
必死に面接の時間を作って、色んな会社に触れ合った。

そして、一つの会社に巡り合った。
今の仕事は簡単な事務。時給は激動の日々の1.2倍。
苦しくなることも、辛くなることももうない。

今は、自分のペースで仕事をしている。